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後援会の概要
設立の経緯
一橋大学後援会は内閣総理大臣から公益財団法人として認定され、平成24年4月1日付けで公益財団法人に移行しました。
昭和31年11月28日 設立(文部省)
昭和57年3月 9日 所得税法及び法人税法の税制優遇認可(文部省)
昭和59年1月20日 租税特別措置法の税制優遇認可(文部省)
平成24年3月21日 公益財団法人移行認定(内閣総理大臣)
平成24年4月1日 登記
平成24年7月27日 税額控除に係る証明書取得(内閣府)
設立の経緯
一橋大学後援会は、昭和31年11月28日に文部大臣の認可を受け、財団法人として設置され、寄附行為の目的と事業に沿って支援活動を続け、57年を超える歴史をもっています。
その設置の経緯については、当時の後援会募金会が、その事業報告書『1.財団法人一橋大学後援会及び一橋大学後援会募金会設立の経緯』の中で、
一橋大学経済研究所の建物新営(昭和31年3月)の際、文部省予算のほかに約1千万円の東京商科大学奨学財団の援助が必要であった。この経験から、既存の奨学財団および一橋学園ファンドの資金では、今後、多くを望むことは無理であり、大学の将来の発展のためには、どうしても新しい財団の設立が必要であるとして、当時の井藤半弥学長が如水会理事長村田省蔵氏及び相談役菅礼之助氏その他有力役員と諮ったうえで、昭和31年6月、財団基金募集準備委員会が結成された。
ことが述べられています。
また、その『財団法人一橋大学後援会資金募集趣意書』では、
一橋大学がわが国第一流の大学たる地位を維持し更に発展してゆくためには、また、世界の学界における第一級の大学たるにふさわしい実力と権威を確立するためには、一橋大学を恒久的発展の軌道に乗せ、
(1)世界的水準における学問の発展と交流
(2)大学本来の使命を達成するための教育研究施設の充実
(3)国際人としての人材の養成と海外発展
を図る必要がある。そのための最大の障害をなすものは資金の不足であり、それ故に相当の発展資金を得て、これらの念願実現のために充てる必要にせまられている
と訴えた上で、「われわれは、ここに一橋大学発展の緊急かつ恒久的な基礎として、少なくとも以上三点を中心とし、なお、これに関連する諸事業に要する基金を募集する次第であります。」と結んでいます。
募金の目標額は、法人約1億円、個人約5千万円、合計約1億5千万円でしたが、法人関係387社4億885万余円、個人関係6,319人6,589万余円、合計4億7,474万余円となり、目標額の3倍を越えるものとなりました。まさに、募金関係者の“母校を愛し、己を捨てての尊い奮斗と努力”によるものであり、後援会が存続する限り、これらの方々のお骨折りを深く銘記せねばならないでしょう。
(『一橋大学学制史資料』第10巻その2 参照)
後援会事業の経緯
後援会として大学への支援が開始されて間もない、昭和37年度支出予算書の支出科目を見ると、
- 研究図書購入整理費
- 研究出版物刊行費(英文年報刊行費、研究年報刊行費、一橋論叢刊行費、研究成果刊行費)
- 外国人講師招へい
- 教官外国出張費
- 学生研究奨学費
などがあり、そのほとんどのものが、内容的に現在の事業計画に引き継がれています。
事業の予算規模は年を追って順次拡大し、発足当時の昭和30年代は2千万円台でしたが40年代3千万円台、50年代4千万円台、60年代に入ると5千万円台となり、平成3年度以降は、如水会からの特定指定事業寄附金及び有志からの特別事業寄附金による事業計画を含め、平成6年度までは1億円台となっています。
しかし、バブル崩壊後の長引く景気の低迷と低金利政策により事業資金が激減し、併せて、平成13年度以降、如水会の財政事情から後援会に対する寄附が中断されたため、運営財産の取崩により大学の支援事業を進めざるをえなくなりました。
このため、13年度以降、事業計画の策定に当っては財源に見合うよう見直しを計り、事業費を削減してきました。
しかしながら、平成16年4月からの国立大学法人化への対応に向けてた強力な支援を行うべく、平成16年度からの事業費は1億円前後の規模となっておりましたが、法人化も一段落したため、平成22年度から法人化前の規模に戻しています。
後援会は、今後とも財政事情の許す限り大学の教育研究活動への支援を積極的に行っていきたいと考えております。
なお、設立以来今日までの約56年間の大学への支援総額は、約31億円近くになっております。